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It's a Small World!!!
気のおもむくままに世界一周してみた「旅」好き大学生のブログです☆★
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2008
12/26
Fri
08:26:52
夏休みのメリークリスマス
Category【 Paraguay 】
イグアス移住区にお邪魔しました。
グループの他の人らが行かない言ってたから結構悩んでたけど、
まぁ、どーせだしね、行ってみようと。
結果から言うと、めちゃめちゃ良かった!!!
この世界に桃源郷があるのなら、それはここだと思う。
とりあえず、ちょちょいとイグアス移住区についておさらいを・・・
移民の最大の受け入れ先だったブラジルで外国人排斥の流れが起こり、
移民自体が制限されるようになると、その代わりの受け入れ先として、
19世紀後半から20世紀前半にかけて周辺諸国と戦争が続き、
人口が激減していたパラグアイが浮上してきた。
19世紀後半の人口は30万人を下回っていたらしい。
面積は日本とほぼ同じくらいってのを考えると・・・国として経済も何もあったもんじゃないだろうなぁ。
そこで、1930年代から第二次大戦をはさんで戦後まで日本人の移民は続けられ、
最終的に1960年頃、イグアス移住区への移民を持って大規模な移民は終了することになる。
開墾によって開かれたイグアス移住区は、イナゴの大発生など幾多の困難を乗り越えて、
大豆栽培(不耕起栽培)の成功などにより最終的に人口も増大し、現在はイグアス市となっている。
移住区としては歴史も浅い上に、大豆栽培の成功でパラグアイ経済に与えた影響もあったり、
1世の方がまだいらっしゃったり、濃い日本文化が残っていたり、
地球の裏側で日本を感じる、そんな町です。
場所は、首都Asuncionから東端のCiudar del Esteまでの幹線道路沿い、km41付近。

こんな道をひたすら行きます。
にしても地名が距離表示って・・・
何はともあれ、バスから降りてみると、赤土に覆われた集落が。

とりあえずたまたまクスコで会ってた人を見かけたんで、
ペンション園田まで連れてってもらった。
しかし、ここはとにかく暑い!!!
クリスマスで店がガソリンスタンドしかやってなかったし、
することもないし、散歩してみた。
野球場。野球場見たのっていつぶりだろう??
無性に野球がしたくなった。SBC活動してんのかなぁ。

鳥居。
やっぱり、せみの声には、鳥居がすごく似合うと思うんだ。

海外の公園って、芝と池ばっかりんとことか、
ぼろぼろの、事故寸前みたいな遊具が置いてあるとこばっかりだったけど、
日本の公園だよね、これ。

掲示板。こんなに日本語があふれてます。
花火大会とか、行きてぇぇぇぇぇ!!

他にも、散歩してて、日系人の方はともかくパラグアイ人もこんにちは、って会釈してきたり。
会釈?!ってびっくりして結構反応遅れてもーた。すめん。
あ、あと、何事もないかのように日本語で「ビール飲み行こう」みたいな誘われたり。
なんだかこの土地は、すごくゆっくり時間が流れてた。
夜には、忘年会が園田家で行われてて、およばれしたから行ってみた。
1世や2世の方がたくさん来てて、雰囲気はまさに町内会の忘年会。
みんながそれぞれを思いやれる、それだけ完璧なコミュニティってもう日本にはほとんどないんじゃないかなぁ。
ちなみに、日本との唯一の違いは、BBQ。レベルが違った。
なんだこの肉。

こーゆー肉とビールって、ホント、美味いんだよね。
さて、せっかくだしいろいろとお話を聞いてみた。
イグアス移住区で生まれ育った方で、つい最近初めて日本に行った、って人(日本語はペラペラ)は、
日本人の忙しさにびっくりした、とか、
(遠まわしだったけど)無関心なんだね、とか、
想像してたとおり素敵な国で、不思議な国だった、とのこと。
…今の日本もすごくいいと思うけれど、
個人的にはやっぱり人に触れない社会よりは、あたたかみのある社会に憧れは、あるよね。
昔を振り返って懐かしんだところでドラえもんはいないんだけどさ。
さて翌朝、農協行って買出し。
麦茶、納豆、そば、日本米、カレールウ、のりたま、焼肉のたれ、etc・・・
久々の、日本の食材に興奮しつつ、残りわずかな財布と相談していろいろと買ってもーた。
いーんだ、年越しくらい、日本満喫してやるから。
結局1泊しかしなかったけれど、
ふるさとは、遠きにありて想うもの、って謳った室生犀星の気持ちが分かる気がした。
やっぱ、俺、日本人だわ。
みんな、元気してんかな?
日本に帰りたい。そう思った。
グループの他の人らが行かない言ってたから結構悩んでたけど、
まぁ、どーせだしね、行ってみようと。
結果から言うと、めちゃめちゃ良かった!!!
この世界に桃源郷があるのなら、それはここだと思う。
とりあえず、ちょちょいとイグアス移住区についておさらいを・・・
移民の最大の受け入れ先だったブラジルで外国人排斥の流れが起こり、
移民自体が制限されるようになると、その代わりの受け入れ先として、
19世紀後半から20世紀前半にかけて周辺諸国と戦争が続き、
人口が激減していたパラグアイが浮上してきた。
19世紀後半の人口は30万人を下回っていたらしい。
面積は日本とほぼ同じくらいってのを考えると・・・国として経済も何もあったもんじゃないだろうなぁ。
そこで、1930年代から第二次大戦をはさんで戦後まで日本人の移民は続けられ、
最終的に1960年頃、イグアス移住区への移民を持って大規模な移民は終了することになる。
開墾によって開かれたイグアス移住区は、イナゴの大発生など幾多の困難を乗り越えて、
大豆栽培(不耕起栽培)の成功などにより最終的に人口も増大し、現在はイグアス市となっている。
移住区としては歴史も浅い上に、大豆栽培の成功でパラグアイ経済に与えた影響もあったり、
1世の方がまだいらっしゃったり、濃い日本文化が残っていたり、
地球の裏側で日本を感じる、そんな町です。
場所は、首都Asuncionから東端のCiudar del Esteまでの幹線道路沿い、km41付近。

こんな道をひたすら行きます。
にしても地名が距離表示って・・・
何はともあれ、バスから降りてみると、赤土に覆われた集落が。

とりあえずたまたまクスコで会ってた人を見かけたんで、
ペンション園田まで連れてってもらった。
しかし、ここはとにかく暑い!!!
クリスマスで店がガソリンスタンドしかやってなかったし、
することもないし、散歩してみた。
野球場。野球場見たのっていつぶりだろう??
無性に野球がしたくなった。SBC活動してんのかなぁ。

鳥居。
やっぱり、せみの声には、鳥居がすごく似合うと思うんだ。

海外の公園って、芝と池ばっかりんとことか、
ぼろぼろの、事故寸前みたいな遊具が置いてあるとこばっかりだったけど、
日本の公園だよね、これ。

掲示板。こんなに日本語があふれてます。
花火大会とか、行きてぇぇぇぇぇ!!

他にも、散歩してて、日系人の方はともかくパラグアイ人もこんにちは、って会釈してきたり。
会釈?!ってびっくりして結構反応遅れてもーた。すめん。
あ、あと、何事もないかのように日本語で「ビール飲み行こう」みたいな誘われたり。
なんだかこの土地は、すごくゆっくり時間が流れてた。
夜には、忘年会が園田家で行われてて、およばれしたから行ってみた。
1世や2世の方がたくさん来てて、雰囲気はまさに町内会の忘年会。
みんながそれぞれを思いやれる、それだけ完璧なコミュニティってもう日本にはほとんどないんじゃないかなぁ。
ちなみに、日本との唯一の違いは、BBQ。レベルが違った。
なんだこの肉。

こーゆー肉とビールって、ホント、美味いんだよね。
さて、せっかくだしいろいろとお話を聞いてみた。
イグアス移住区で生まれ育った方で、つい最近初めて日本に行った、って人(日本語はペラペラ)は、
日本人の忙しさにびっくりした、とか、
(遠まわしだったけど)無関心なんだね、とか、
想像してたとおり素敵な国で、不思議な国だった、とのこと。
…今の日本もすごくいいと思うけれど、
個人的にはやっぱり人に触れない社会よりは、あたたかみのある社会に憧れは、あるよね。
昔を振り返って懐かしんだところでドラえもんはいないんだけどさ。
さて翌朝、農協行って買出し。
麦茶、納豆、そば、日本米、カレールウ、のりたま、焼肉のたれ、etc・・・
久々の、日本の食材に興奮しつつ、残りわずかな財布と相談していろいろと買ってもーた。
いーんだ、年越しくらい、日本満喫してやるから。
結局1泊しかしなかったけれど、
ふるさとは、遠きにありて想うもの、って謳った室生犀星の気持ちが分かる気がした。
やっぱ、俺、日本人だわ。
みんな、元気してんかな?
日本に帰りたい。そう思った。
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